結婚して静岡から出てきてから、目標を立てたり、自分のこれからのことを考えるときに必ず立つ場所がある。

この景色を見て、私は夢や目標を叶えたり、絶望から立ち直ってきた。何度も何度も。いつから?2003年からなので、かれこれ、23年絶ってしまった。

ここに立つときの気分を例えると、パソコンで左指をFに、右指をJに置くようなイメージなのだ。パソコンで文章を書くときは、ホームポジョンに常に指が戻る。私は何かを考えるとき、この景色を心のホームポジションにしてきた。

静岡から結婚のために、縁もゆかりもまったくない関東へ出てきて、一人心細かったときにここに立つと心が整理されることに気づいた。昔はこの池には白鳥がいたけれど、もう全部死んじゃった。ボストンテリアのミミと散歩したこともあったけど、死んじゃった。時間がこんなにも流れているなんて信じられない。近くのスポーツクラブは8年も通ったのに、コロナで、何の挨拶もなしに突然やめることになっちゃった。留学生センターで韓国語を習っていたこともあるのに、そこも壊されてなくなってしまった。私だけ、ずっとここにいる。でもいつかは私もいなくなる。

とある大学職員として働きながら、慶應通信で卒業を目指していたとき。卒業できたとき。子どもを産む人生にするか、しない人生にするか迷いに迷っていたとき。産む人生を選んで嬉しかったとき。あんなに怖がっていた、子どもが障害児だとわかったとき。

東日本大震災、そして息子のてんかん重責でNICUに入院していた日々。私の母親に息子のことで心ない言葉をぶつけられて、発狂するほど自分の気持ちがおかしくなって、5年間絶縁状態だったとき。さまざまな本を読んで自分を救おうとしたとき。『毒になる親』はピンと来ず、信田さよ子さんの本を読んで表参道のカウンセリングに通っていたとき。『嫌われる勇気』を読んで、許すふりをして、両親に連絡をとったとき。

子育て経験のエッセイをたくんの賞に応募しようと決めたとき。4つ全部受賞したとき。

仕事を辞めてフリーランスになったとき。睡眠の講師をしようと思ったとき。コロナで仕事ができなくなったとき。子宮全摘することになったとき。入院中に私には何もなくなったと思ったとき。

本と時間だけが残ったとき。Instagramで読書の発信を本気で始めようと思ったとき。

夫と別居しようと思ったとき。憬れの人と本を共著で出すことになったとき。NPO法人の副代表理事になったとき。向いていないと思ってやめようと思ったとき。

この景色を見ながら佇んで一人で最善の道を決めてきた。今日は、ここに立っても空っぽの自分がいた。何をしようとか、したいとか、欲が何もない。

とにかく、決めたことを淡々とやってみれば、何か見つかるかもしれない。そうして、また私はFとJに戻る。この景色を見たあとは、私の人生という文章を書き続けていけばいい。

意味なんて考えなくてもいい。生きるだけ。しつこく生きるだけ。