「面倒くさい」というバリア

「面倒くさい」って言葉が嫌いだったのに、今すごく自分で言っているじゃんね。書いていたら、突然思い出したことがある。

幼稚園で仲が良かった女の子がいた。しょっちゅう一緒に遊んでいて、楽しくて二人でよくはしゃいで笑って、大好きだった。卒園して小学校の校区が別々になり、彼女とはお別れしまった。ところが、小学3年生のときに、私のいる小学校に彼女が転入生としてやってきた。幼稚園のときとは印象が変わっていたけれど、再会できてめちゃくちゃ嬉しかったので、気持ちがとにかくせいて、休み時間に彼女の元へとんでいって挨拶した。

彼女は幼稚園のときは痩せていたけど、ぽっちゃりして印象が変わっていた。表情もなんとなく暗くて、はしゃぐ私と無表情な彼女の間には、温度差があった。それに気づかないふりをしながら、幼稚園のときのように、また、いろんな遊びを一緒にしたくて・・・。手を変え品を変え誘ってみた。彼女は言った。

「面倒くさい。」

一瞬、何を言われたかわからなくて頭が真っ白になった。この言葉の前ではすべて無力だ・・・と、がっくりきた。この会えなかった3年の間に、彼女から好奇心を奪ってしまった何か理由があったのかもしれない。けれど、それは聞けなかった。私もまだ子どもだったし、それ以上は踏み込めなかった。

彼女は何かを頑張ることがとにかく面倒くさいようだった。彼女は、「面倒くさい」というバリアを、私に対してだけではなく、学校生活で、同級生の前で、常に張っているように見えた。

私はそれから「面倒くさい」という言葉を、言わないようにしてきた。

カメラロールに何もない!

40代ぐらいから、なんだかすごく疲れる。50代になって、その体力のフェーズが、更に変わってきたように思う。身体が重い。くたびれる。痛い。もうすべてが本当に「面倒くさい」のだ。思考停止になるぐらい。

いつの間にか、独り言で「面倒くさい」とネガティブ発言をすることに躊躇しない、嫌な大人になっていた。あのときの友達の言葉なんて、すっかり頭から抜け落ちていた。

文章を書くリハビリとして、このブログを書いているのだけど、客観的に今日という1日を振り返る記録は、Instagramのきりんリブート(@kirin_reboot)というアカウントで更新することにした。でないと、自分の成長が可視化できないなと思ったので。

このInstagramアカウントは、記録を継続させるためにハードル低く運用することにした。写真1枚。キャプション欄には、身体の感覚、睡眠時間、食べたもの、読んだ本、学び、運動、今日の満足度などを記録することにした。

ところが、スマホのカメラロールを確認すると、投稿に適した写真が1枚もない。本の写真と生成AIで作成した画像ばっかり。

どこに旅行に行ったとかもない。誰かと一緒に写っている写真もない。思い出が何にもないのだ。愕然とした。冗談抜きで、非リア充確定!

「面倒くさい」理由をあげればきりがない

そんなわけで、今日はとにかく、写真を撮りにいこうと思った。でないと、また投稿にAI画像を使うしかなくなる。

今年は桜が花開いても、天気が悪くてずっと雨が降っていた。今日は晴れ。明日からの週末はまたお天気が崩れそうで、春の嵐になるという。今年満開の桜を青空の下で見るのは、これが最後かもしれないと、テレビのニュースで言っていた。

菜の花と桜並木が美しい場所があるので、そこへ行こうと思った。ところがである!

「面倒くさい」

あろうことか「好奇心<義務感」になると、とたんに「面倒くさい」という言葉が、私の口を突いて出てくるのである。

理由はいろいろある。家から桜並木に行くには、車がないと遠い。車は機械式駐車場から下ろすのに5分ぐらいかかる。他の住人がいると、さらに時間がかかる。桜並木の近くには駐車場がないので、少し離れたところに車を置いて、桜並木までは歩かないといけない。そのうえ、息子のお迎え時間に間に合うように出発しなくてはいけないし、夕食の食材がなくなったので、スーパーにも寄らないといけない。菜の花と桜並木の組み合わせはとても美しいし、今年は今日しか見るチャンスはなさそうだ。あ、そうだ!家を出る前に、洗濯物を取り込んでおこう、PR投稿も今日こそしたいから、感想だけでも仕上げておかなくては!桜を見る時間、あるよね?でも、確かにあの桜並木は美しい。でも、もう記憶に残るほど何度か過去に見に行っていて、新たな感動はあるのかと考えると、行くこと自体が面倒な気になってきた。菜の花と桜並木の風景は、いつかの年も写真を撮ったから、スクロールすればデータは残っているだろう。いろいろ考えると行くのが嫌になってきた。もう家にいようかな。

いや、そうじゃないだろう!

「面倒くさい」ことが怖かった

頭の中でこねくりまわしていた、できない理由。行ってみたら、桜並木散策は、移動込みで1時間半で終わった。いろいろ考えるよりも行動に移したほうが速かったし、簡単だった。

何を怖がっていたんだろう。「面倒くさい」体質になると、行動できなくなる。幼稚園のときの友達も、怖くなってしまったのかもしれないな。今ならなんとなくわかる。

桜と菜の花の組み合わせは、何度見ても美しい風景だった。菜の花ってこんな匂いがあったなとか、桜も種類によっては香りがあるんだと、数年前のカメラロールを眺めるだけではわからないことも思い出された。自然が遠くなりすぎて、五感も錆びついていたらしい。

本以外の、写真を毎日1枚ずつ撮ってみよう。

実は写真は撮っていなかったんだけど、毎日心の中に「かわいいもの」集めをしていた。よそ様の犬のお散歩、野良三毛猫のか細い「ニャア・・・」という鳴き声、鳥、花、なんでもいいのだけど、思わず出た「かわいい!」という言葉の中には、感嘆や慈しみの成分が含まれているような気がする。

勇気を出して、「面倒くさい」ほうをやってみよう。「面倒くさい」は禁句にして、これからは感情が動いた「かわいいもの」で、カメラロールを埋め尽くしたい。

かわいい思い出でいっぱいにするのが今の私の目標。