人と比べること、リセット症候群という病
人と比べないように生きないと、さすがにしんどいと思っているけれど、不意に情報が飛び込んできてしまうこともある。そういうときに、あまりに食らってしまう自分の弱さがほとほと嫌になる。
この春に息子は本来なら、大学に入学する年齢だったのだ。彼にとって何にも関係がない。嫌でも同じ年ごろの子たちの進路などを知ってしまうと、無意識に比べてしまう。これはもう、どうしようもない。春から新大学生、新しいキャンパスで前途洋々と青春を謳歌している若者として息子も育っていたら?と。もうその先を考えるのは、「死んだ子の年を数える」というような比喩になってしまう。考えても意味がないことに傷つくのだから、私、どんどんバカにならなきゃいけない。
日曜日。天気が悪くて、家族もみんな家にいて、気分も空気も澱みきっている。夫と息子の昼食は食べさせて、家族には「スーパーに行ってくるね」と言って、サイゼでひとりサク飲みしてきた。サイゼに行く途中だけは、嘘のようにピタリと雨が上がっていた。モーゼの海割りみたい。

小林早代子さんの『たぶん私たち一生最強』という女子4人のルームシェアの小説を読んでいる。20~30代の悩みが満載で、あけすけすぎる描写もあるけど、面白い。
私が20代の頃の悩みは、ひたすらライバルが多かったこと。団塊ジュニア世代、進学も競争が激しくて受験も大変だったし、バブルがはじけて就職氷河期だし、やっとのことで就職できたと思ったら、次は結婚。結婚したら寿退社するのが通例で。それでも、押し流されるように決まりきったレールの上を走っていけばよかった分、選択肢は少なくて思考はシンプルだったのかもしれない。
今は選択肢や価値観も多様で細分化されているし、SNSで他人の幸せも可視化されやすいし、「自分はこの生き方でいいの?」と揺らぐことも多いんだろうな・・・。
この物語の女子だけの生活って、理想郷のようで憬れるけど、現実感があまりない。
私はつまらないことで、友達を失ってきた気がする。そのことに後悔しても、あとの祭り。人間関係に傷つくことに疲れすぎてしまって、人を信用するのが難しい。リセット症候群になったのは、ある意味で仕方がないけど、こういう自分が嫌になる。今でも会いたい人はいるし、私なりに大事に思っている。私の中に2つの人格がある。友達を求める私、リセットする私。せめぎ合って苦しい。
しっかりスーパーにも寄って帰ってくると、午後はいよいよ家から出るのも億劫になるほど、空気が白く霞むぐらいの土砂降りになった。雨の音を聞きながら、部屋で小説の続きや、孫正義さんの伝記『勝負師 孫正義の冒険 上』を読む。頭がボーっとする。
本を読むことすら面倒になったら、他に何をよすがにしていけばいいのだろうか。
